1764ページ
ぞと推すべし。前に申しつるがごとく、この国の者は一人もなく三逆罪の者なり。これは梵王・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給いて責め給うなり。
日蓮は愚かなれども、釈迦仏の御使い、法華経の行者なりとなのり候を、用いざらんだにも不思議なるべし。その失によって国破れなんとす。いわんや、あるいは国々を追い、あるいは引きはり、あるいは打擲し、あるいは流罪し、あるいは弟子を殺し、あるいは所領を取る。現の父母の使いをかくせん人々よかるべしや。日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。これを背かんことよ。念仏を申さん人々は、無間地獄に堕ちんこと決定なるべし。たのもし、たのもし。
そもそも蒙古国より責めん時は、いかんがせさせ給うべき。この法華経をいただき、頸にかけさせ給いて、北山へ登らせ給うとも、年比念仏者を養い、念仏を申して、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給いてありしことは久しし。また、もし命ともなるならば、法華経ばし恨みさせ給うなよ。また閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき。おこがましきこととはおぼすとも、その時は「日蓮が檀那なり」とこそ仰せあらんずらめ。
またこれはさておきぬ。この法華経をば学乗房に常に開かさせ給うべし。人いかに云うとも、念仏者・真言師・持斎なんどにばし開かさせ給うべからず。また日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用いあるべからず。恐々謹言。
五月八日 日蓮 花押
一谷入道女房
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(271)一谷入道御書 | 建治元年(’75)5月8日 | 54歳 | 一谷入道の妻 |