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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

えぞかし。
 されば、故阿仏房の聖霊は今いずくんにかおわすらんと人は疑うとも、法華経の明鏡をもってその影をうかべて候えば、霊鷲山の山の中に、多宝仏の宝塔の内に、東むきにおわすと日蓮は見まいらせて候。もしこのことそらごとにて候わば、日蓮がひがめにては候わず。釈迦如来の「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」の御舌と、多宝仏の「妙法華経は、皆これ真実なり」の舌相と、四百万億那由他の国土にあさのごとく、いねのごとく、星のごとく、竹のごとく、ぞくぞくとひまもなく列なりいておわしましし諸仏如来の、一仏もかけ給わず広長舌を大梵王宮に指し付けておわせし御舌どもの、くじらの死んでくされたるがごとく、いやしのよりあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、十方世界の諸仏如来、大妄語の罪におとされて、寂光の浄土の金るりの大地、はたとわれて、提婆がごとく無間大城にかっぱと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて、実報華王の花のその一時に灰じんの地となるべし。いかでか、さることは候べき。故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給わずば、諸仏の大苦に堕ち給うべし。ただおいて物を見よ、ただおいて物を見よ。仏のまこと・そら事は、これにて見奉るべし。
 さては、おとこははしらのごとし、女はなかわのごとし。おとこは足のごとし、女人は身のごとし。おとこは羽のごとし、女はみのごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもってかとぶべき。はしらたおれなば、なかわ地に堕ちなん。いえにおとこなければ、人のたましいなきがごとし。くうじをばたれにかいいあわせん。よき物をばたれにかやしなうべき。一日二日たがいしをだにもおぼつか