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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(268)

千日尼御返事

 弘安3年(ʼ80)7月2日 59歳 千日尼

 鵝目一貫五百文・のり・わかめ・ほしい、しなじなの物、給び候い了わんぬ。法華経の御宝前に申し上げて候。
 法華経に云わく「若有聞法者、無一不成仏(もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん)」云々。文字は十字にて候えども、法華経を一句よみまいらせ候えども、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ。故に、妙楽大師云わく「もし法華を弘むるには、およそ一義を消するも、皆一代を混じてその始末を窮む」等云々。「始」と申すは華厳経、「末」と申すは涅槃経。華厳経と申すは、仏、最初成道の時、法慧・功徳林等の大菩薩、解脱月菩薩と申す菩薩の請いに趣いて、仏前にてとかれて候。その経は、天竺・竜宮城・兜率天等は知らず、日本国にわたりて候は六十巻・八十巻・四十巻候。「末」と申すは大涅槃経。これも月氏・竜宮等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等なり。これより外の阿含経・方等経・般若経等は、五千・七千余巻なり。
 これらの経々は見ずきかず候えども、ただ法華経の一字一句よみ候えば、彼々の経々を一字もおとさずよむにて候なるぞ。譬えば、月氏・日本と申す二字、二字に、五天竺、十六の大国、五百の中国、