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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

父母の恩の中に、慈父をば天に譬え、悲母を大地に譬えたり。いずれもわけがたし。その中、悲母の大恩ことにほうじがたし。
 これを報ぜんとおもうに、外典の三墳五典・孝経等によって報ぜんとおもえば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入って五千・七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏かたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は、あるいは成仏、あるいは往生を許したるようなれども、仏の仮言にて実事なし。ただ法華経ばかりこそ、女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候えと見候いしかば、悲母の恩を報ぜんために、この経の題目を一切の女人に唱えさせんと願ず。
 それに日本国の一切の女人は、漢土の善導、日本の恵心・永観・法然等にすかされて、詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の一切の女人一人も唱うることなし。ただ南無阿弥陀仏と一日に一返・十返・百千万億反、乃至三万・十万反、一生が間、昼夜十二時にまた他事なし。道心堅固なる女人も、また悪人なる女人も、弥陀念仏を本とせり。わずかに法華経をこととするようなる女人も、月まつまでのてすさび、おもわしき男のひまに、心ならず心ざしなき男にあうがごとし。されば、日本国の一切の女人、法華経の御心に叶うは一人もなし。
 我が悲母、詮とすべき法華経をば唱えずして弥陀に心をかけば、法華経は本ならねばたすけ給うべからず、弥陀念仏は女人たすくる法にあらず、必ず地獄に堕ち給うべし。いかんがせんとなげきしほどに、我が悲母をたすけんために、弥陀念仏は無間地獄の業なり。五逆にはあらざれども、五逆にす