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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(262)

阿仏房尼御前御返事

 建治元年(ʼ75)9月3日 54歳 千日尼

 御文に云わく「謗法の浅深・軽重においては罪報いかんや」云々。
 夫れ、法華経の意は、「一切衆生皆成仏道」の御経なり。しかりといえども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ。「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」とは、これなり。謗法の者にも浅深・軽重の異あり。法華経を持ち信ずれども、誠に色心相応の信者、能持此経の行者はまれなり。これらの人は、介爾ばかりの謗法はあれども、深重の罪を受くることはなし。信心はつよく、謗法はよわき故なり。大水をもって小火をけすがごとし。
 涅槃経に云わく「もし善比丘あって、法を壊る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もし能く駆遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり」云々。この経文にせめられ奉って、日蓮は種々の大難に値うといえども、「仏法の中の怨なり」のいましめを免れんために申すなり。
 ただし、謗法に至って浅深あるべし。偽り愚かにして、せめざる時もあるべし。真言・天台宗等は