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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

法華誹謗の者、いとう呵責すべし。
 しかれども、大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし。しかるあいだ、まずまずさしおくことあるなり。立正安国論のごとし。
 いうといわざるとの重罪免れ難し。云って罪のまぬかるべきを、見ながら、聞きながら、置いていましめざること、眼・耳の二徳たちまちに破れて大無慈悲なり。章安云わく「慈無くして詐り親しむは、即ちこれ彼が怨なり」等云々。
 重罪消滅しがたし、いよいよ利益の心もっともしかるべきなり。軽罪の者をばせむる時もあるべし、またせめずしておくも候べし。自然になおる辺あるべし。せめて自他の罪を脱れて、さてゆるすべし。その故は、一向謗法になれば、まされる大重罪を受くるなり。「彼がために悪を除くは、即ちこれ彼が親なり」とは、これなり。
 日蓮が弟子檀那の中にも、多くかくのごときことども候。さだめて尼御前もきこしめして候らん。一谷入道のこと、日蓮が檀那と内には候えども、外は念仏者にて候ぞ。後生はいかんとすべき。しかれども、法華経十巻渡して候いしなり。
 いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。法華経に云わく「恐畏の世において、能く須臾も説かば」云々。悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集まりて候時、正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天・人供養あるべしという経