SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(259)

船守弥三郎許御書

 弘長元年(ʼ61)6月27日 40歳 船守弥三郎

 わざと使いをもって、ちまき・さけ・ほしい・さんしょう・かみ、しなじな給び候い畢わんぬ。
 またつかい申され候は「御かくさせ給えと申し上げ候え」と。日蓮、心得申すべく候。
 日蓮、去ぬる五月十二日、流罪の時、その津につきて候いしに、いまだ名をもききおよびまいらせず候ところに、船よりあがりくるしみ候いきところに、ねんごろにあたらせ給い候いしことはいかなる宿習なるらん。過去に法華経の行者にてわたらせ給えるが、今、末法にふなもりの弥三郎と生まれかわりて、日蓮をあわれみ給うか。たとい男はさもあるべきに、女房の身として食をあたえ、洗足・ちょうず、その外、さも事ねんごろなること、日蓮はしらず、不思議とも申すばかりなし。ことに三十日あまりありて、内心に法華経を信じ、日蓮を供養し給うこと、いかなる事のよしなるや。
 かかる、地頭・万民、日蓮をにくみねたむこと、鎌倉よりもすぎたり。みるものは目をひき、きく人はあだむ。ことに五月のころなれば米もとぼしかるらんに、日蓮を内々にてはぐくみ給いしことは、日蓮が父母の伊豆の伊東・かわなというところに生まれかわり給うか。法華経の第四に云わく「および清信士女をして、法師を供養せしむ」云々。法華経を行ぜん者をば、諸天善神等、あるいはおとこ