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間、摩騰迦・竺法蘭・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等、あるいは疏を作り、あるいは経を釈せしかども、いまだ法華経の題目をば弥陀の名号のごとく勧められず。ただ自身一人ばかり唱え、あるいは経を講ずる時、講師ばかり唱うることあり。しかるに、八宗・九宗等、その義まちまちなれども、多分は弥陀の名号、次には観音の名号、次には釈迦仏の名号、次には大日・薬師等の名号をば唱え給える高祖・先徳等はおわすれども、いかなる故有ってか一代諸教の肝心たる法華経の題目をば唱えざりけん。その故を能く能く尋ね習い給うべし。譬えば、大医の、一切の病の根源、薬の浅深は弁えたれども、故なく大事の薬をつかうことなく病に随うがごとし。されば、仏の滅後正像二千年の間は、煩悩の病軽かりければ、一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりけるか。今、末法に入りぬ。人ごとに重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。
また、月はいみじけれども、秋にあらざれば光を惜しむ。花はめでたけれども、春にあらざればさかず。一切、時によることなり。されば、正像二千年の間は題目の流布の時に当たらざるか。
また、仏教を弘むるは仏の御使いなり。したがって仏の弟子の譲りを得ること各別なり。正法千年に出でし論師、像法千年に出ずる人師等は、多くは、小乗、権大乗、法華経のあるいは迹門あるいは枝葉を譲られし人々なり。いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給わず。この人、末法に出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中、国ごと人ごとに弘むべし。例せば、当時、日本国に弥陀の名号の流布しつるがごとくなるべきか。
しかるに、日蓮は、いずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(251)妙密上人御消息 | 建治2年(’76)閏3月5日 | 55歳 | 妙密 |