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されば、日本国には仏法の始まりしことは、天神七代・地神五代の後、人王百代、その初めの王をば神武天皇と申す。神武より第三十代に当たって欽明天皇の御宇に、百済国より、経ならびに教主釈尊の御影、僧尼等を渡す。用明天皇の太子の上宮と申せし人、仏法を読み初め、法華経を漢土よりとりよせさせ給いて、疏を作って弘めさせ給いき。それより後、人王三十七代孝徳天皇の御宇に、観勒僧正と申す人、新羅国より三論宗・成実宗を渡す。同じき御代に、道昭と申す僧、漢土より法相宗・俱舎宗を渡す。同じき御代に、審祥大徳、華厳宗を渡す。第四十四代元正天皇の御宇に、天竺の上人、大日経を渡す。第四十五代聖武天皇の御宇に、鑑真和尚と申せし人、漢土より日本国に律宗を渡せし次いでに、天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す。しかれども、真言宗と法華宗との二宗をばいまだ弘め給わず。
人王第五十代桓武天皇の御代に、最澄と申す小僧あり、後には伝教大師と号す。この人、入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間ただ一人見置き給いき。後に延暦二十三年七月に漢土に渡り、かえる年の六月に本朝に着かせ給いて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき。その後、今に四百年なり。
総じて、日本国に仏法渡って、今に七百余年なり。あるいは弥陀の名号、あるいは大日の名号、あるいは釈迦の名号等をば一切衆生に勧め給える人々はおわすれども、いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱えよと勧めたる人なし。日本国に限らず、月氏等にも、仏の滅後一千年の間、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・無著・天親等の大論師、仏法を五天竺に弘通せしかども、漢土に仏法渡って数百年の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(251)妙密上人御消息 | 建治2年(’76)閏3月5日 | 55歳 | 妙密 |