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とせしかども、今までこうて候ことは、一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし。
一つ船に乗りぬれば、船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ、また身つよき人も、心かいなければ多くの能も無用なり。日本国にはかしこき人々はあるらめども、大将のはかり事つたなければかいなし。壱岐・対馬、九箇国のつわものならびに男女、多く、あるいはころされ、あるいはとらわれ、あるいは海に入り、あるいはがけよりおちしもの、いくせんまんということなし。また今度よせなば、先にはにるべくもあるべからず、京と鎌倉とは、ただ壱岐・対馬のごとくなるべし。前にしたくして、いずくへもにげさせ給え。その時は、昔、日蓮を見じ聞かじと申せし人々も、掌をあわせ、法華経を信ずべし。念仏者・禅宗までも南無妙法蓮華経と申すべし。
そもそも、法華経をよくよく信じたらん男女をば、肩ににない背におうべきよし、経文に見えて候上、くまらえん三蔵と申せし人をば木像の釈迦おわせ給いて候いしぞかし。日蓮が頭には大覚世尊かわらせ給いぬ。昔と今と一同なり。各々は日蓮が檀那なり。いかでか仏にならせ給わざるべき。
いかなる男をせさせ給うとも、法華経のかたきならば、随い給うべからず。
いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出でたれども、水よりもすさまじ。青きことは藍より出でたれども、かさぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはおわすれども、志をかさぬれば、他人よりも色まさり、利生もあるべきなり。
木は火にやかるれども、栴檀の木はやけず。火は水にけさるれども、仏の涅槃の火はきえず。華は風にちれども、浄居の華はしぼまず。水は大旱魃に失すれども、黄河に入りぬれば失せず。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(242)乙御前御消息 | 建治元年(’75)8月4日 | 54歳 | 日妙・乙御前 |