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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(242)

乙御前御消息

 建治元年(ʼ75)8月4日 54歳 日妙・乙御前

 漢土にいまだ仏法のわたり候わざりし時は、三皇・五帝・三王、乃至太公望・周公旦・老子・孔子つくらせ給いて候いし文を、あるいは経となづけ、あるいは典等となづく。この文を披いて、人に礼儀をおしえ、父母をしらしめ、王臣を定めて世をおさめしかば、人もしたがい、天も納受をたれ給う。これにたがいし子をば不孝の者と申し、臣をば逆臣の者とて失にあてられしほどに、月氏より仏経わたりし時、ある一類は「用うべからず」と申し、ある一類は「用うべし」と申せしほどに、あらそい出来して召し合わせたりしかば、外典の者負けて仏弟子勝ちにき。その後は、外典の者と仏弟子を合わせしかば、氷の日にとくるがごとく火の水に滅するがごとく、まくるのみならず、なにともなき者となりしなり。
 また仏経漸くわたり来りしほどに、仏経の中にまた勝劣・浅深候いけり。いわゆる、小乗経・大乗経、顕経・密経、権経・実経なり。
 譬えば、一切の石は金に対すれば一切の金に劣れども、また金の中にも重々あり。一切の人間の金は閻浮檀金には及び候わず、閻浮檀金は梵天の金には及ばざるがごとく、一切経は金のごとくなれど