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も、また勝劣・浅深あるなり。
小乗経と申す経は、世間の小船のごとく、わずかに人の二人三人等は乗すれども、百千人は乗せず。たとい二人三人等は乗すれども、此岸につけて彼岸へは行きがたし。またすこしの物をば入るれども、大いなる物をば入れがたし。大乗と申すは大船なり。人も十・二十人も乗る上、大いなる物をもつみ、鎌倉よりつくし・みちの国へもいたる。
実経と申すは、また彼の大船の大乗経にはにるべくもなし。大いなる珍宝をもつみ、百千人のりて、こうらいなんどへもわたりぬべし。一乗法華経と申す経も、またかくのごとし。
提婆達多と申すは閻浮第一の大悪人なれども、法華経にして天王如来となりぬ。また阿闍世王と申せしは、父をころせし悪王なれども、法華経の座に列なりて一偈一句の結縁衆となりぬ。竜女と申せし蛇体の女人は、法華経を文殊師利菩薩説き給いしかば仏になりぬ。
その上、仏説には「悪世末法」と時をささせ給いて、末代の男女におくらせ給いぬ。これこそ唐船のごとくにて候一乗経にてはおわしませ。
されば、一切経は、外典に対すれば、石と金とのごとし。また一切の大乗経、いわゆる華厳経・大日経・観経・阿弥陀経・般若経等の諸の経々を法華経に対すれば、蛍火と日月と、華山と蟻塚とのごとし。
経に勝劣あるのみならず、大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合わすれば、水に火をあわせ、露と風とを合わするがごとし。犬は師子をほうれば腸くさる。修羅は日輪を射奉れば頭七分に
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(242)乙御前御消息 | 建治元年(’75)8月4日 | 54歳 | 日妙・乙御前 |