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鎌倉に候いし時は、念仏者等はさておき候いぬ、法華経を信ずる人々は、志あるもなきも知られ候わざりしかども、御勘気をかぼりて佐渡の島まで流されしかば、問い訪う人もなかりしに、女人の御身としてかたがた御志ありし上、我と来り給いしこと、うつつならざる不思議なり。
その上、いまのもうで、また申すばかりなし。定めて神もまぼらせ給い、十羅刹も御あわれみましますらん。
法華経は、女人の御ためには、暗きにともしび、海に船、おそろしき所にはまぼりとなるべきよし、ちかわせ給えり。羅什三蔵は法華経を渡し給いしかば、毘沙門天王は無量の兵士をして葱嶺を送りしなり。道昭法師、野中にして法華経をよみしかば、無量の虎来って守護しき。これもまた、彼にはかわるべからず。
地には三十六祇、天には二十八宿まぼらせ給う上、人には必ず二つの天、影のごとくにそいて候。いわゆる、一をば同生天と云い、二をば同名天と申す。左右の肩にそいて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつことなし。いわんや善人においてをや。
されば、妙楽大師のたまわく「必ず心の固きに仮って、神の守り則ち強し」等云々。人の心かたければ、神のまぼり必ずつよしとこそ候え。
これは御ために申すぞ。古の御心ざし申すばかりなし。それよりも今一重強盛に御志あるべし。その時はいよいよ十羅刹女の御まぼりもつよかるべしとおぼすべし。
例には他を引くべからず。日蓮をば、日本国の上一人より下万民に至るまで一人もなくあやまたん
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(242)乙御前御消息 | 建治元年(’75)8月4日 | 54歳 | 日妙・乙御前 |