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せ給わんには、必ず前代未聞の大瑞あるべし。いわゆる、正嘉の地動、文永の長星、これなるべし。そもそも当世の人々、いずれの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏の滅後二千二百二十余年に一人も候わず。日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡って今に七百余年、前代未聞の大法この国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生、仏に成るべきことこそ、有り難けれ、有り難けれ。
また已前の重、末法には教・行・証の三つともに備われり。例せば正法のごとし等云々。すでに地涌の大菩薩・上行出でさせ給いぬ。結要の大法また弘まらせ給うべし。日本・漢土・万国の一切衆生は、金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値えるなるべし。在世四十二年、ならびに法華経の迹門十四品にこれを秘して説かせ給わざりし大法、本門正宗に至って説き顕し給うのみ。
良観房が義に云わく、彼の良観が日蓮遠国へ下向と聞く時は、諸人に向かって「急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし。為に宗論を遂げて、諸人の不審を晴らさん」なんど自讃毀他する由、その聞こえ候。「これらも戒法にてやあるらん」、あながちに尋ぬべし。また日蓮、鎌倉に罷り上る時は、門戸を閉じて「内へ入るべからず」とこれを制法し、あるいは風気なんど虚病して罷り過ぎぬ。「某は日蓮にあらず。その弟子にて候まま、少し言のなまり、法門の才覚は乱れがわしくとも、律宗国賊替わるべからず」と云うべし。
公場にして理運の法門申し候えばとて、雑言・強言・自讃気なる体、人目に見すべからず。浅ましきことなるべし。いよいよ身・口・意を調え、謹んで主人に向かうべし、主人に向かうべし。
三月二十一日 日蓮 花押
三位阿闍梨御房へこれを遣わす。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(239)教行証御書 | 文永12年(’75)3月21日* | 三位房 |