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教行証御書
文永12年(ʼ75)3月21日* 三位房
夫れ、正像二千年に小乗・権大乗を持依して、その功を入れて修行せしかば、大体その益有り。しかりといえども、彼々の経々を修行せし人々は、自依の経々にして益を得と思えども、法華経をもってその意を探れば、一分の益なし。所以はいかん。仏の在世にして法華経に結縁せしが、その機の熟否に依り、円機純熟の者は、在世にして仏に成れり。根機微劣の者は、正法に退転して権大乗経の浄名・思益・観経・仁王・般若経等にしてその証果を取れること在世のごとし。されば、正法には教・行・証の三つともに兼備せり。像法には教・行のみ有って証無し。
今、末法に入っては教のみ有って行・証無く、在世結縁の者一人も無し。権実の二機ことごとく失せり。この時は、濁悪たる当世の逆・謗の二人に、初めて本門の肝心・寿量品の南無妙法蓮華経をもって下種となす。「この好き良薬を、今留めてここに在く。汝は取って服すべし。差えじと憂うることなかれ」とは、これなり。
乃往過去の威音王仏の像法に、三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して、教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向かって唱えしめしがごとし。彼の二十四字を聞きし者は、一人も無く
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(239)教行証御書 | 文永12年(’75)3月21日* | 三位房 |