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本の寿量にいかなることを説き給えるとか人々は思しめし候。我らがごとき凡夫、無始已来生死の苦底に沈輪して仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を、無作本覚の三身と成し、実に一念三千の極理を説くなんど浅深を立つべし。ただし、公場ならばしかるべし。私に問註すべからず。たしかにこの法門は、汝等がごとき者は人ごとに座ごとに日ごとに談ずべくんば、三世諸仏の御罰を蒙るべきなり。日蓮己証なりと常に申せし、これなり。
大日経にこれ有りや。浄土三部経の「成仏してより已来、およそ十劫を歴」、これに類すべきやなんど、前後の文乱れず、一々に会すべし。
その後、また云うべし。「諸人は推量も候え、かくのごとくいみじき御経にて候えばこそ、多宝遠来して証誠を加え、分身来集して三仏の御舌を梵天に付け不虚妄とは訇らせ給いしか。地涌千界出現して、濁悪末代の当世に別付嘱の妙法蓮華経を一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき仏の勅使なれば、八十万億の諸大菩薩をば『止みね。善男子よ』と嫌わせ給いしか」等云々。
また彼の邪宗の者どもの習いとして、あながちに証文を尋ぬることこれ有り。涌出品ならびに文句の九、記の九の前三後三の釈を出だすべし。ただ日蓮が門家の大事これにしかず。
また諸宗の人、大論の「自法愛染」の文を問難とせば、大論の立所を尋ねて後「執権謗実の過罪をば竜樹は存知無く候いけるか。『余経は秘密にあらず。法華はこれ秘密なり』と仰せられ、『譬えば大薬師のごとし』とこの経ばかり成仏の種子と定めて、また悔い返して、『自法愛染は悪道に堕つることを免れず』と仰せられ候べきか。さてあらば、仏語には『正直に方便を捨つ』『余経の一偈をも受
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(239)教行証御書 | 文永12年(’75)3月21日* | 三位房 |