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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

もなき死去にて候ぞや」と、和らかに、また強く、両眼を細めに見、顔貌に色を調えて閑かに言上すべし。
 状に云わく、「彼此の経々、得益の数を挙ぐ」等云々。
 「これ不足に候」とまず陳ぶべし。その後、「汝等が宗々の依経に三仏の証誠これ有りや。いまだ聞かず。よも多宝・分身は御来り候わじ。この仏は法華経に来り給いしあいだ、一仏二言は、やわか御坐しまし候べき」と。次に「六難九易、いかなる経の文にこれ有りや。『もし仏滅して後』の人々の偽経は知らず、釈尊の実説五十年の説法の内には一字一句も有るべからず候」なんど立つべし。
 五百塵点の顕本これ有りや、三千塵点の結縁説法ありや。一念信解・五十展転の功徳、いかなる経文に説き給えるや。彼の余経には一・二・三、乃至十功徳すらこれ無し。五十展転まではよも説き給い候わじ。余経には一・二の塵数を挙げず。いかにいわんや五百・三千をや。二乗の成・不成、竜畜下賤の即身成仏、今の経に限れり。華厳・般若等の諸大乗経にこれ有りや。二乗作仏は始めて今経に在り。よも、天台大師程の明哲の、弘法・慈覚のごとき無文無義の偽りはおわし給わじと我らは覚え候。また悪人の提婆が天道国の成道、法華経に並んでいかなる経にかこれ有りや。
 しかりといえども、万の難を閣いて、いかなる経にか十法界の開会等、草木成仏これ有りや。天台・妙楽の「中道にあらざることなし」「耳を惑わし心を驚かす」の釈は、慈覚・智証の理同事勝の異見にこれを類すべく候や。すでに天台等は三国伝灯の人師、普賢開発の聖師、天真発明の権者なり。あに経論になきことを偽り釈し給わんや。
 彼々の経々にいかなる一大事かこれ有るや。この経には二十の大事あり。なかんずく、五百塵点顕