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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「正直に方便を捨つ」「世尊は法久しくして後」なんどの経釈をば、秘して左右なく出だすべからず。
 また難問に云わく「得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ。その故は観経の往生、あるいはその外、例のごとし」等云々。
 また、「いまだ真実を顕さず」、その外「ただ仮の名字のみをもって」等と立つべし云々。また「同時の経あり」と云わば、法師品の已今当の説をもって会すべきなり。玄義の三、籤の三の文を出だすべし。経釈能く能く料簡して秘すべし。
 一状に云わく、「真言宗」等云々。
 答う。彼が立つるところのごとき弘法大師の「戯論」「無明の辺域」、いずれの経文に依るやと云って、彼の依経を引かば云うべし。「大日如来は三世の諸仏の中にはいずれぞや」と云って、「善無畏三蔵・金剛智等の偽りをば汝は知れるや」と云って、その後、一行筆受の相承を立つべし。大日経には一念三千跡を削れり。漢土にして偽りしなり。なかんずく僻見有り。毘盧の頂上を蹈む証文は、三世の諸仏の所説にこれ有りや。その後、彼云わく等云々。立つべし、大慢婆羅門が高座の足等云々。彼これ、かくのごとき次第、いかなる経文・論文にこれを出だすやと等云々。その外、常に教えしごとく問答対論あるべし。たとい、いかなる宗なりとも、真言宗の法門を云わば、真言の僻見を責むべく候。
 次に、念仏の曇鸞法師の難行・易行、道綽が聖道・浄土、善導が雑行・正行、法然が捨閉閣抛の文、これらの本経・本論を尋ぬべし。経において権実の二経有ること、例のごとし。論においても、また通別の二論有り黒白の二論有ること、深く習うべし。彼の依経の浄土三部経の中に、かくのごとき等