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ること疑いなしと見えたり。予が愚見をもって近来の世間を見るに、多くは在家・出家、誹謗の者のみあり。
ただし御不審のこと、法華経はいずれの品も先に申しつるように愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり。されば、常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候え。また別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は、身に影の随い、玉に財の備わるがごとし。寿量品・方便品をよみ候えば、自然に余品はよみ候わねども備わり候なり。薬王品・提婆品は女人の成仏・往生を説かれて候品にては候えども、提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。されば、常にはこの方便品・寿量品の二品をあそばし候いて、余の品をば時々、御いとまのひまにあそばすべく候。
また御消息の状に云わく「日ごとに三度ずつ七つの文字を拝しまいらせ候ことと南無一乗妙典と一万遍申し候こととをば日ごとにし候が、例のことに成って候ほどは、御経をばよみまいらせ候わず、拝しまいらせ候ことも、一乗妙典と申し候ことも、そらにし候は苦しかるまじくや候らん。それも例の事の日数のほどは叶うまじくや候らん。いく日ばかりにてよみまいらせ候わんずる」等云々。
この段は、一切の女人ごとの御不審に常に問わせ給い候御事にて侍り。また古も女人の御不審に付いて申したる人も多く候えども、一代聖教にさして説かれたるところのなきかの故に、証文分明に出だしたる人もおわせず。
日蓮、ほぼ聖教を見候にも、酒肉・五辛・婬事なんどのように不浄を分明に月日をさして禁めたる
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(234)月水御書 | 文永元年(’64)4月17日 | 43歳 | 大学三郎の妻 |