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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ように月水をいみたる経論をいまだ勘えず候なり。在世の時、多く盛んの女人尼になり仏法を行ぜしかども、月水の時と申して嫌われたることなし。これをもって推し量り侍るに、月水と申すものは外より来れる不浄にもあらず、ただ女人のくせ・かたわ、生死の種を継ぐべき理にや。また長病のようなるものなり。例せば、屎尿なんどは人の身より出ずれども、能く浄くなしぬれば、別にいみもなし。これ体に侍ることか。されば、印度・尸那なんどにも、いたくいむよしも聞こえず。
 ただし、日本国は神国なり。この国の習いとして、仏菩薩の垂迹、不思議に経論にあいにぬことも多く侍るに、これをそむけば現に当罰あり。
 委細に経論を勘え見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門はこれに当たれり。この戒の心は、いとう事かけざることをば、少々仏教にたがうとも、その国の風俗に違うべからざるよし、仏一つの戒を説き給えり。この由を知らざる智者ども、「神は鬼神なれば敬うべからず」なんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずることありと見えて候なり。もししからば、この国の明神、多分はこの月水をいませ給えり。生をこの国にうけん人々は大いに忌み給うべきか。ただし、女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か。
 元より法華経を信ぜざるようなる人々が、経をいかにしても云いうとめんと思うが、さすがに、ただちに経を捨てよとは云いえずして、身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思うほどに、また、不浄の時これを行ずれば経を愚かにしまいらするなんどおどして、罪を得させ候なり。
 このことをば一切御心得候いて、月水の御時は、七日までもその気の有らんほどは御経をばよませ