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これはこまごまとかき候ことは、かくとしどし月々日々に申して候えども、なごえの尼・しょう房・のと房・三位房なんどのように候、おくびょう、物おぼえず、よくふかく、うたがい多き者どもは、ぬれるうるしに水をかけそらをきりたるように候ぞ。
三位房がことは大不思議の事ども候いしかども、とのばらのおもいには「智慧ある者をそねませ給うか」とぐちの人おもいなんとおもいて、物も申さで候いしが、はらぐろとなりて大難にもあたりて候ぞ。なかなか、さんざんとだにも申せしかば、たすかるへんもや候いなん。あまりにふしぎさに申さざりしなり。また、かく申せば、おこ人どもは「死もうのことを仰せ候」と申すべし。鏡のために申す。またこのことは、彼らの人々も内々はおじおそれ候らんとおぼえ候ぞ。
人のさわげばとて、ひょうじなんどこの一門にせられば、これへかきつけてたび候え。恐々謹言。
十月一日 日蓮 花押
人々御中
さぶろうざえもん殿のもとにとどめらるべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(219)聖人御難事 | 弘安2年(’79)10月1日 | 58歳 | 門下一同 |