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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(219)

聖人御難事

 弘安2年(ʼ79)10月1日 58歳 門下一同

 去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、安房国長狭郡の内、東条郷、今は郡なり。天照太神の御くりや、右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。この郡の内、清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午時にこの法門申しはじめて、今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。その中の大難申すばかりなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。その間の大難は、各々かつしろしめせり。
 法華経に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」云々。釈迦如来の大難はかずをしらず。その中、馬の麦をもって九十日、小指の出仏身血、大石の頂にかかりし、善星比丘等の八人が身は仏の御弟子、心は外道にともないて昼夜十二時に仏の短をねらいし、無量の釈子の波琉璃王に殺されし、無量の弟子等がえい象にふまれし、阿闍世王の大難をなせし等、これらは「如来現在」の小難なり。「況滅度後」の大難は、竜樹・天親・天台・伝教いまだ値い給わず。法華経の行者ならずといわば、いかでか行者にておわせざるべき。また行者といわんとすれ