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ば、仏のごとく身より血をあやされず。いかにいわんや、仏に過ぎたる大難なし。経文むなしきがごとし。仏説すでに大虚妄となりぬ。
しかるに、日蓮、二十七年が間、弘長元年辛酉五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日、頭にきずをかぼり、左の手を打ちおらる。同文永八年辛未九月十二日、佐渡国へ配流、また頭の座に望む。その外に弟子を殺され、切られ、追い出だされ、かりょう等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか、それは知らず。
竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。日蓮末法に出でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏の滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人、ただ日蓮一人なり。
過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、始めは事なきようにて、終にほろびざるは候わず。
日蓮またかくのごとし。始めはしるしなきようなれども、今、二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等、さのみ守護せずば、仏前の御誓いむなしくて無間大城に堕つべしとおそろしく想うあいだ、今は各々はげむらん。
大田親昌・長崎次郎兵衛尉時綱・大進房が落馬等は、法華経の罰のあらわるるか。罰は総罰・別罰・顕罰・冥罰、四つ候。日本国の大疫病と大けかちとどしうちと他国よりせめらるるは総ばちなり。やくびょうは冥罰なり。大田等は現罰なり、別ばちなり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(219)聖人御難事 | 弘安2年(’79)10月1日 | 58歳 | 門下一同 |