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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

いなり。
 日蓮が心は全く如来の使いにはあらず。凡夫なる故なり。ただし、三類の大怨敵にあだまれて二度の流難に値えば、如来の御使いに似たり。心は三毒ふかく、一身凡夫にて候えども、口に南無妙法蓮華経と申せば、如来の使いに似たり。過去を尋ぬれば、不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに、「刀杖瓦石を加う」にたがうことなし。未来は当詣道場疑いなからんか。これをやしなわせ給う人々は、あに同居浄土の人にあらずや。事多しと申せども、とどめ候。心をもって計らせ給うべし。
 ちごのそろう、よくなりたり。悦び候ぞ。また、大進阿闍梨の死去のこと、「末代のぎば、いかでか、これにすぐべき」と、皆人舌をふり候なり。さにて候いけるやらん。三位房がこと、そう四郎がこと、このことはあたかも符契、符契と申しあいて候。日蓮が死生をばまかせまいらせて候。全く他のくすしをば用いまじく候なり。
  九月十五日    日蓮 花押
 四条金吾殿