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また仏の在世よりも末法は大難かさなるべし。これをこらえん行者は、我が功徳にはすぐれたること一劫とこそ説かれて候え。
仏滅度して後二千二百三十余年になり候に、月氏一千余年が間、仏法を弘通せる人、伝記にのせてかくれなし。漢土一千年、日本七百年、また目録にのせて候いしかども、仏のごとく大難に値える人々少なし。我も聖人、我も賢人とは申せども、「況滅度後」の記文に値える人一人も候わず。竜樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値える人々にては候えども、これらも仏説には及ぶことなし。これ即ち、代のあがり、法華経の時に生まれ値わせ給わざる故なり。
今は、時すでに後の五百歳、末法の始めなり。日には五月十五日、月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生まれ給えり。今より後は、またのちぐえなり。大陣すでに破れぬ、余党は物のかずならず。今こそ仏の記しおき給いし後の五百歳、末法の初め、「況滅度後」の時に当たって候えば、仏語むなしからずば、一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。聖人の出ずるしるしには一閻浮提第一の合戦おこるべしと説かれて候に、すでに合戦も起こって候に、すでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給いて候らん。
きりん出でしかば、孔子を聖人としる。里社なって聖人出で給うこと疑いなし。仏には栴檀の木おいて聖人としる。老子は二五の文を蹈んで聖人としる。末代の法華経の聖人をば何をもってかしるべき。経に云わく、能くこの経を説き、能くこの経を持つの人、則ち如来の使いなり。八巻・一巻・一品・一偈の人、乃至題目を唱うる人、如来の使いなり。始中終すてずして大難をとおす人、如来の使
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(218)四条金吾殿御返事(源遠流長の事) | 弘安2年(’79)9月15日 | 58歳 | 四条金吾 |