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四条金吾殿御返事(所領加増の事)
弘安元年(ʼ78)10月 57歳 四条金吾
鵝目一貫文、給び候い畢わんぬ。
御所領、上より給わらせ給いて候なること、まこととも覚えず候。夢かとあまりに不思議に覚え候。御返事なんどもいかように申すべしとも覚えず候。
その故は、とのの御身は、日蓮が法門の御ゆえに、日本国ならびにかまくら中、御内の人々、きゅうだちまでうけず、ふしぎにおもわれて候えば、その御内におわせんだにも不思議に候に、御恩をこうぼらせ給えば、うちかえし、またうちかえしせさせ給えば、いかばかり同れいどももふしぎとおもい、上もあまりなりとおぼすらん。されば、このたびは、いかんがあるべかるらんとうたがい思い候いつる上、御内の数十人の人々うったえて候えば、さればこそ、いかにもかないがたかるべし、あまりなることなりと疑い候いつる上、兄弟にもすてられておわするに、かかる御おん、面目申すばかりなし。
かの処はとのおかの三倍とあそばして候上、さどの国のもののこれに候が、よくよくその処をしりて候が申し候は「三箇郷の内に、いかだと申すは第一の処なり。田畠はすくなく候えども、とくは
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(214)四条金吾殿御返事(所領加増の事) | 弘安元年(’78)10月 | 57歳 | 四条金吾 |