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はかりなし」と申し候ぞ。二所はみねんぐ千貫、一所は三百貫と云々。かかる処なりと承る。
なにとなくとも、どうれいといい、したしき人々と申し、すてはてられて、わらいよろこびつるに、とのおかにおとりて候処なりとも、御下し文は給わりたく候いつるぞかし。まして三倍の処なりと候。いかにわろくとも、わろきよし、人にもまた上へも申させ給うべからず候。「よきところ、よきところ」と申し給わば、またかさねて給わらせ給うべし。「わろき処、徳分なし」なんど候わば、天にも人にもすてられ給い候わんずるに候ぞ。御心えあるべし。
阿闍世王は賢人なりしが、父をころせしかば、即時に天にもすてられ、大地もやぶれて入りぬべかりしかども、殺されし父の王、一日に五百りょう・五百りょう、数年が間、仏を供養しまいらせたりし功徳と、後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、天もすてがたし、地もわれず、ついに地獄におちずして仏になり給いき。
とのもまた、かくのごとし。兄弟にもすてられ、同れいにもあだまれ、きゅうだちにもそばめられ、日本国の人にもにくまれ給いつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の子丑時、日蓮が御勘気をかぼりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出でてさがみのえちに御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かとうどにてありしかば、梵天・帝釈もすてかねさせ給えるか。仏にならせ給わんことも、かくのごとし。いかなる大科ありとも、法華経をそむかせ給わず候いし御ともの御ほうこうにて、仏にならせ給うべし。
例せば、有徳国王の、覚徳比丘の命にかわりて釈迦仏とならせ給いしがごとし。法華経はいのりと
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(214)四条金吾殿御返事(所領加増の事) | 弘安元年(’78)10月 | 57歳 | 四条金吾 |