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とどまるとも、年々に止みがたからんか。いかにも、最後に大事出来して後ぞ、定まることも候わんずらん。
法華経に云わく「もし医道を修して、方に順じて病を治せば、さらに他の疾を増し、あるいはまた死を致さん。しかもまた増劇せん」。涅槃経に云わく「その時に王舎大城の阿闍世王○遍体に瘡を生ず乃至かくのごとき創は心に従って生ず。四大より起こるにはあらず。もし衆生に能く治する者有りと言わば、この処有ることなけん」云々。妙楽云わく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」云々。この疫病は阿闍世王の瘡のごとし。彼は仏にあらずんば治し難し、此は法華にあらずんば除き難し。
はたまた、日蓮下痢、去年十二月三十日事起こり、今年六月三日四日、日々に度をまし、月々に倍増す。定業かと存ずるところに、貴辺の良薬を服してより已来、日々月々に減じて、今、百分の一となれり。しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮を扶け給うか。地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさずけ給えるかと疑い候なり。くわしくは筑後房申すべく候。
また追って申す。きくせんは今月二十五日戌時来って候。種々の物、かずえつくしがたし。ときどののかたびらの申し給わるべし。
また女房の御おおじの御事、なげき入って候よし、申させ給い候え。恐々謹言。
六月二十六日 日蓮 花押
中務左衛門尉殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(213)中務左衛門尉殿御返事 | 弘安元年(’78)6月26日 | 57歳 | 四条金吾 |