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にもなるべし。これらこそ、とどまりいてなげかんずれば、おもいでにとふかくおぼすべし。かよう申すは、他事はさておきぬ、双六は二つある石はかけられず、鳥は一つの羽にてとぶことなし。将門・さだとうがようなりしゆうしょうも一人は叶わず。されば、舎弟等を子とも郎等ともうちたのみておわせば、もしや法華経もひろまらせ給いて、世にもあらせ給わば、一方のかとうどたるべし。
すでにきょうのだいり、院のごそ、かまくらの御所ならびに御うしろみの御所、一年が内に二度、正月と十二月とにやけ候いぬ。これ只事にはあらず。謗法の真言師等を御師とたのませ給う上、かれら法華経をあだみ候ゆえに、天のせめ、法華経・十羅刹の御いさめあるなり。かえりて大さんげあるならば、たすかるへんもあらんずらん。いとう天のこの国をおしませ給うゆえに、大いなる御いさめあるか。すでに他国がこの国をうちまきて国主・国民を失わん上、仏神の寺社百千万がほろびんずるを、天眼をもって見下ろしてなげかせ給うなり。また法華経の御名をゆうゆうたるものどもの唱うるを誹謗正法の者どもがおどし候を、天のにくませ給う故なり。あなかしこ、あなかしこ。今年かしこくして物を御らんぜよ。山海空市まぬかるるところあらば、ゆきて今年はすぎぬべし。阿私陀仙人が仏の生まれ給いしを見て、いのちをおしみしがごとし、おしみしがごとし。恐々謹言。
正月二十五日 日蓮 花押
中務左衛門尉殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(212)四条金吾御書 | 建治4年(’78)1月25日 | 57歳 | 四条金吾 |