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しり、たかどの、一切くらきところをみせて入るべし。しょうもうには、我が家よりも人の家よりもあれ、たからをおしみてあわてて火をけすところへつっとよるべからず。まして走り出ずることなかれ。出仕より主の御ともして御かえりの時は、みかどより馬よりおりて、いとまのさしあうよし、ぼうかんに申して、いそぎかえるべし。上のおおせなりとも、よに入って御ともして御所にひさしかるべからず。かえらんには、第一心にふかきようじんあるべし。ここをばかならずかたきのうかがうところなり。人のさけたばんと申すとも、あやしみて、あるいは言をいだし、あるいは用いることなかれ。
また御おととどもには、常はふびんのよしあるべし。つねに、ゆぜに・ぞうりのあたいなんど心あるべし。「もしやの事のあらんには、かたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなわんずる者ぞかし」とおぼして、とがありとも、しょうしょうの失をばしらぬようにてあるべし。
また女るいは、いかなる失ありとも、一向に御きょうくんまでもあるべからず。ましていさかうことなかれ。涅槃経に云わく「罪極めて重しといえども、女人に及ぼさず」等云々。文の心は、いかなる失ありとも女のとがをおこなわざれ、これ賢人なり、これ仏弟子なりと申す文なり。この文は、阿闍世王、父を殺すのみならず、母をあやまたんとせし時、耆婆・月光の両臣がいさめたる経文なり。我が母、心ぐるしくおもいて臨終までも心にかけしいもうとどもなれば、失をめんじて不便というならば、母の心やすみて孝養となるべしとふかくおぼすべし。
他人をも不便というぞかし。いおうや、おとうとどもをや。もしやの事の有るには、一所にていか
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(212)四条金吾御書 | 建治4年(’78)1月25日 | 57歳 | 四条金吾 |