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土の上、いかにたずね候えども、おいて候ところなし。されば、海にあらざればわかめなし。山にあらざればくさびらなし。法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか。
これはさておき候いぬ。なによりも承ってすずしく候ことは、いくばくの御にくまれの人の、御出仕に人かずにめしぐせられさせ給いて、一日二日ならず御ひまもなきよし、うれしさ申すばかりなし。えもんのたゆうの、おやに立ちあいて上の御一言にてかえりてゆりたると、殿のすねんが間のにくまれ、去年のふゆはこうとききしに、かえりて日々の御出仕の御とも、いかなることぞ。ひとえに天の御計らい、法華経の御力にあらずや。
その上、円教房の来って候いしが申し候は「えまの四郎殿の御出仕に御とものさぶらい二十四・五、その中にしゅうはさておきたてまつりぬ、ぬしのせいといい、かおたましい、むま・下人までも、中務のさえもんのじょう第一なり。あわれ、おとこや、おとこやと、かまくらわらわべは、つじちにて申しあいて候いし」とかたり候。
これにつけても、あまりにあやしく候。孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給う。古の賢人なり、今の人のかがみなり。されば、今度はことに身をつつしませ給うべし。よるは、いかなることありとも、一人そとへ出でさせ給うべからず。たとい上の御めし有りとも、まず下人をごそへつかわして、ないない一定をききさだめて、はらまきをきて、はちまきし、先後左右に人をたてて出仕し、御所のかたわらに心よせのやかたか、また我がやかたかにぬぎおきて、まいらせ給うべし。家へかえらんには、さきに人を入れて、とのわき、はしのした、むまやの
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(212)四条金吾御書 | 建治4年(’78)1月25日 | 57歳 | 四条金吾 |