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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

申すつわものあり。これを身に離し給わずば、害を脱れ給わん。このつわものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜のその一なり」と云々。
 しばらくはこれを持ち給いておわせしが、ややもすれば腹あしき王にて、これを破らせ給いき。ある時、人、猪の子をまいらせたりしかば、こうがいをぬきて猪の子の眼をずぶずぶとささせ給いて、「いつか、にくしと思うやつをかくせん」と仰せありしかば、太子その座におわせしが、「あらあさましや、あさましや。君は一定人にあだまれ給いなん。この御言は身を害する剣なり」とて、太子多くの財を取り寄せて御前にこの言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、ある人、蘇我大臣馬子と申せし人に語りしかば、馬子、我がことなりとて、東漢直駒、直磐井と申す者の子をかたらいて、王を害しまいらせつ。されば、王位の身なれども、思うことをばたやすく申さぬぞ。
 孔子と申せし賢人は、九思一言とて、ここのたびおもいて一度申す。周公旦と申せし人は、沐する時は三度握り、食する時は三度はき給いき。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給うな。仏法と申すはこれにて候ぞ。
 一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬いしは、いかなることぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞いにて候いけるぞ。あなかしこ、あなかしこ。賢きを人と云い、はかなきを畜という。
  建治三年丁丑九月十一日    日蓮 花押
 四条左衛門尉殿御返事