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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の家へこの人々常にかようならば、かたきはよる行きあわじとおじるべし。させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思わじ。かくれん者は、これ程の兵士はなきなり。常にむつばせ給え。殿は腹悪しき人にて、よも用いさせ給わじ。もしさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。
 竜象と殿の兄とは、殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし。天の御計らいに、殿の御心のごとくなるぞかし。いかに天の御心に背かんとはおぼするぞ。たとい千万の財をみちたりとも、上にすてられまいらせ給いては、何の詮かあるべき。すでに上にはおやのように思われまいらせ、水の器に随うがごとく、こうしの母を思い、老者の杖をたのむがごとく、主のとのを思しめされたるは、法華経の御たすけにあらずや。「あらうらやましや」とこそ御内の人々は思わるるらめ。とくとくこの四人かたらいて、日蓮にきかせ給え。さるならば、強盛に天に申すべし。また殿の故御父・御母の御事も「左衛門尉があまりに歎き候ぞ」と、天にも申し入れて候なり。定めて釈迦仏の御前に子細候らん。
 返す返す今に忘れぬことは、頸切られんとせし時、殿はともして馬の口に付いてなきかなしみ給いしをば、いかなる世にか忘れなん。たとい殿の罪ふかくして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしらえさせ給うとも、用いまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそおわしまさずらめ。暗に月の入るがごとく、湯に水を入るるがごとく、氷に火をたくがごとく、日輪にやみをなぐるがごとくこそ候わんずれ。もしすこしもこのことをたがえさせ給うならば、日蓮うらみさせ給うな。
 この世間の疫病は、とののもうすがごとく、年帰りなば上へあがりぬとおぼえ候ぞ。十羅刹の御