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きり者の女房たち「いかに上の御そろうは」と問い申されば、いかなる人にても候え、膝をかがめて、手を合わせ、「某が力の及ぶべき御所労には候わず候を、いかに辞退申せども、ただと仰せ候えば、御内の者にて候あいだ、かくて候」とて、びんをもかかず、ひたたれこわからず、さわやかなる小袖、色ある物なんどもきずして、しばらくにょうじて御覧あれ。
返す返す御心えの上なれども、末代のありさまを仏の説かせ給いて候には、「濁世には聖人も居しがたし、大火の中の石のごとし。しばらくはこらうるようなれども、終にはやけくだけて灰となる。賢人も、五常は口に説いて身には振る舞いがたし」と見えて候ぞ。「こうの座をば去れ」と申すぞかし。そこばくの人の殿を造り落とさんとしつるに、おとされずして、はやかちぬる身が、穏便ならずして造り落とされなば、世間に申すこぎこいでの船こぼれ、また食の後に湯の無きがごとし。上よりへやを給わって居しておわせば、その処にては何事無くとも、日ぐれ・暁なんど、入り返りなんどに定めてねらうらん。また我が家の妻戸の脇、持仏堂、家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振る舞い給え。今度はさきよりも彼らはたばかり賢かるらん。いかに申すとも、鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ。いかに心にあわぬこと有りとも、かたらい給え。
義経は、いかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらいて平家をほろぼし、大将殿は、おさだを親のかたきとおぼせしかども、平家を落とさざりしには頸を切り給わず。いわんや、この四人は、遠くは法華経のゆえ、近くは日蓮がゆえに、命を懸けたるやしきを上へ召されたり。日蓮と法華経とを信ずる人々をば、前々彼の人々いかなることありともかえりみ給うべし。その上、殿
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(210)崇峻天皇御書(三種財宝御書) | 建治3年(’77)9月11日 | 56歳 | 四条金吾 |