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されば、御内の人々には天魔ついて、前よりこのことを知って、殿のこの法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがためにこの病はおこれるか。上は我がかたきとはおぼさねども、一たん、かれらが申すことを用い給いぬるによりて、御しょろうの大事になりてながしらせ給うか。彼らが柱とたのむ竜象すでにたおれぬ。和讒せし人も、またその病におかされぬ。良観はまた一重の大科の者なれば、大事に値って大事をひきおこして、いかにもなり候わんずらん。よもただは候わじ。
これにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ。一定かたきにねらわれさせ給いなん。すぐろくの石は二つ並びぬればかけられず、車の輪は二つあれば道にかたぶかず。敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ。いかにとがありとも、弟どもしばらくも身をはなち給うな。
殿は一定腹あしき相かおに顕れたり。いかに大事と思えども、腹あしき者をば天は守らせ給わぬと知らせ給え。殿の人にあやまたれておわさば、たとい仏にはなり給うとも、彼らが悦びといい、これよりの歎きと申し、口惜しかるべし。彼らがいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせておわすれば、外のすがたはしずまりたるようにあれども、内の胸はもうるばかりにやあるらん。常には彼らに見えぬようにて、古よりも家のこを敬い、きゅうだちまいらせ給いておわさんには、上の召しありとも、しばらくつつしむべし。
入道殿いかにもならせ給わば彼の人々はまどい者になるべきをばかえりみず、物おぼえぬ心に、とののいよいよ来るを見ては、一定ほのおを胸にたき、いきをさかさまにつくらん。もしきゅうだち・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(210)崇峻天皇御書(三種財宝御書) | 建治3年(’77)9月11日 | 56歳 | 四条金吾 |