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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(209)

四条金吾殿御返事(世雄御書)

 建治3年(ʼ77)7月または8月 56歳 四条金吾

 御文あらあらうけたまわって、長き夜のあけ、とおき道をかえりたるがごとし。
 夫れ、仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に、仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり。
 中にも、天竺をば月氏という。我が国をば日本と申す。一閻浮提八万の国の中に、大なる国は天竺、小なる国は日本なり。名のめでたきは、印度第二、扶桑第一なり。仏法は月の国より始まって日の国にとどまるべし。月は西より出でて東に向かい、日は東より西へ行くこと、天然のことわり、磁石と鉄と、雷と象華とのごとし。誰かこのことわりをやぶらん。
 この国に仏法わたりし由来をたずぬれば、天神七代・地神五代すぎて人王の代となりて、第一神武天皇、乃至第三十代欽明天皇と申せし王おわしき。位につかせ給いて三十二年治世し給いしに、第十三年壬申十月十三日辛酉に、この国より西に百済国と申す国あり、日本国の大王の御知行の国なり。その国の大王・聖明王と申せし国王あり。年貢を日本国にまいらせしついでに、金銅の釈迦仏ならびに一切経・法師・尼等をわたしたりしかば、天皇大いに喜んで、群臣に仰せて「西蕃の仏をあがめ奉