1584ページ
殿か、たきの太郎殿か、とき殿かに、いとまに随ってかかせてあげさせ給うべし。これはあげなば事きれなん。いとういそがずとも、内々うちをしたため、またほかのかつばらにもあまねくさわがせてさしいだしたらば、もしやこの文かまくら内にもひろうし、上へもまいることもやあるらん。わざわいの幸いはこれなり。法華経の御事は已前に申しふりぬ。しかれども、小事こそ善よりはおこって候え。大事になりぬれば、必ず大いなるさわぎが大いなる幸いとなるなり。この陳状、人ごとにみるならば、彼らがはじあらわるべし。
ただ一口に申し給え。「我とは御内を出でて所領をあぐべからず。上よりめされいださんは、法華経の御布施、幸いと思うべし」とののしらせ給え。かえすがえす奉行人にへつらうけしきなかれ。「この所領は上より給びたるにはあらず。大事の御所労を法華経の薬をもってたすけまいらせて給びて候所領なれば、召すならば御所労こそまたかえり候わんずれ。その時は、頼基に御たいじょう候とも、用いまいらせ候まじく候」と、うちあてにくぞうげにてかえるべし。
あなかしこ、あなかしこ、御よりあいあるべからず。よるは用心きびしく、夜廻りの殿原かたらいて用い、常にはよりあわるべし。今度、御内をだにもいだされずば、十に九は内のものねらいなん。かまえて、きたなきしにすべからず。
建治三年丁丑七月 日蓮 花押
四条金吾殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(208)四条金吾殿御返事(不可惜所領の事) | 建治3年(’77)7月 | 56歳 | 四条金吾 |