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の四人にこそ仰せつけられて候え。ただ、事の心を案ずるに、日蓮が道をたすけんと、上行菩薩、貴辺の御身に入りかわらせ給えるか。また教主釈尊の御計らいか。
彼の御内の人々うちはびこって、良観・竜象が計らいにてやじょうあるらん。起請をかかせ給いなば、いよいよかつばらおごりてかたがたにふれ申さば、鎌倉の内に日蓮が弟子等一人もなくせめうしないなん。
凡夫のならい、身の上ははからいがたし。これをよくよくしるを賢人・聖人とは申すなり。遠きをばしばらくおかせ給え。近きは武蔵のこう殿、両所をすてて入道になり、結句は多くの所領・男女のきゅうだち・御ぜん等をすてて御遁世と承る。とのは子なし、たのもしき兄弟なし。わずかの二所の所領なり。
一生はゆめの上、明日をごせず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給うべからず。されば、同じくはなげきたるけしきなくて、この状にかきたるがごとく、すこしもへつらわず振る舞い仰せあるべし。中々へつらうならば、あしかりなん。
たとい所領をめされ追い出だし給うとも、十羅刹女の御計らいにてぞあるらんとふかくたのませ給うべし。日蓮は、ながされずしてかまくらにだにもありしかば、有りしいくさに一定打ち殺されなん。これもまた、御内にてはあしかりぬべければ、釈迦仏の御計らいにてやあるらん。
陳状は申して候えども、またそれに僧は候えども、あまりのおぼつかなさに三位房をつかわすべく候に、いまだ所労きらきらしく候わず候えば、同じことにこの御房をまいらせ候。だいがくの三郎
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(208)四条金吾殿御返事(不可惜所領の事) | 建治3年(’77)7月 | 56歳 | 四条金吾 |