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獄に堕ちさせ給うべし。さては、頼基、仏に成り候いても甲斐なしとなげき存じ候。
そもそも、彼の小乗戒は、富楼那と申せし大阿羅漢、諸天のために二百五十戒を説き候いしを、浄名居士だんじて云わく「穢食をもって宝器に置くことなかれ」等云々。鴦崛摩羅は文殊を呵責し「ああ蚊虻の行は大乗空の理を知らず」と。また小乗戒をば、文殊は十七の失を出だし、如来は八種の譬喩をもってこれをそしり給うに、驢乳と説き、蝦蟇に譬えられたり。これらをば、鑑真の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ嵯峨天皇には奏し申し候いしかども、経文なれば力及び候わず。南都の奏状やぶれて叡山の大戒壇立ち候いし上は、すでに捨てられ候いし小乗に候わずや。頼基が良観房を蚊・虻・蝦蟇の法師なりと申すとも、経文分明に候わば、御とがめあるべからず。
あまつさえ、起請に及ぶべき由仰せを蒙るの条、存外に歎き入って候。頼基、不法時病にて起請を書き候ほどならば、君たちまちに法華経の御罰を蒙らせ給うべし。良観房が讒訴によって釈迦如来の御使い日蓮聖人を流罪し奉りしかば、聖人の申し給いしがごとく百日が内に合戦出来して、そこばくの武者滅亡せし中に、名越の公達横死にあわせ給いぬ。これひとえに良観房が失い奉りたるに候わずや。今また竜象・良観が心に用意せさせ給いて、頼基に起請を書かしめ御座しまさば、君またその罪に当たらせ給わざるべしや。かくのごとき道理を知らざる故か、また君をあだし奉らんと思う故か、頼基に事を寄せて大事を出ださんとたばかり候人等、御尋ねあって召し合わせらるべく候。恐惶謹言。
建治三年丁丑六月二十五日 四条中務尉頼基 請文
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(207)頼基陳状 | 建治3年(’77)6月25日 | 56歳 |