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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(207)

頼基陳状

 建治3年(ʼ77)6月25日 56歳

 去ぬる六月二十三日の御下し文、島田左衛門入道殿・山城民部入道殿、両人の御承りとして同二十五日謹んで拝見仕り候い畢わんぬ。
 右の仰せ下しの状に云わく「竜象御房の御説法の所に参られ候いける次第、おおかた穏便ならざる由、見聞の人あまねく一方ならず同口に申し合い候こと、驚き入って候。徒党の仁その数、兵杖を帯して出入す」云々。
 この条、跡形も無き虚言なり。詮ずるところ、誰人の申し入れ候いけるやらん。御哀憐を蒙って召し合わせられ、実否を糾明せられ候わば、しかるべきことにて候。
 およそこのことの根源は、去ぬる六月九日、日蓮聖人の御弟子・三位公、頼基が宿所に来り、申して云わく「近日、竜象房と申す僧、京都より下って、大仏の門の西、桑谷に止住して、日夜に説法仕るが申して云わく、現当のため仏法に御不審存せん人は来って問答申すべき旨、説法せしむるあいだ、鎌倉中の上下、釈尊のごとく貴び奉る。しかれども問答に及ぶ人なしと風聞し候。かしこへ行き向かって問答を遂げ、一切衆生の後生の不審をはらし候わんと思い候。聞き給わぬか」と申さ