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わんを、なげくばかりなり。阿闍世王は提婆・六師を師として教主釈尊を敵とせしかば、摩竭提国、皆仏教の敵となりて、闍王の眷属五十八万人、仏弟子を敵とする中に、耆婆大臣ばかり仏の弟子なり。大王は、上の頼基を思しめすがごとく、仏弟子たることを御心よからず思しめししかども、最後には六大臣の邪義をすてて耆婆が正法にこそつかせ給い候いしか。そのごとく御最後をば頼基や救い参らせ候わんずらん。
かくのごとく申さしめ候えば、「阿闍世は五逆罪の者なり。彼に対するか」と思しめしぬべし。恐れにては候えども、彼には百千万倍の重罪にて御座しますべしと、御経の文には顕然に見えさせ給いて候。いわゆる「今この三界は、皆これ我が有なり。その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」文。文のごとくば、教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり、師匠なり、主君なり。阿弥陀仏はこの三つの義ましまさず。しかるに、三徳の仏を閣いて他仏を昼夜朝夕に称名し、六万八万の名号を唱えまします。あに不孝の御所作にわたらせ給わずや。弥陀の願も釈迦如来の説かせ給いしかども、終にくい返し給いて「ただ我一人のみ」と定め給いぬ。その後は全く二人三人と見え候わず。したがって、人にも父母二人なし。いずれの経に弥陀はこの国の父、いずれの論に母たる旨、見えて候。
観経等の念仏の法門は、法華経を説かせ給わんためのしばらくのしつらいなり。塔くまんための足代のごとし。しかるを「仏法なれば、始終あるべし」と思う人、大僻案なり。塔立てて後足代を貴ぶほどのはかなき者なり。また、日よりも星は明らかと申す者なるべし。この人を経に説いて云わく「また教詔すといえども、信受せず」「その人は命終して、阿鼻獄に入らん」。当世、日本国の一切衆
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(207)頼基陳状 | 建治3年(’77)6月25日 | 56歳 |