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き人々、いかにこそ存じ候え。
同じき下し状に云わく「是非につけて主親の所存には相随わんこそ、仏神の冥にも世間の礼にも手本」と云々。
このこと最第一の大事にて候えば、私の申し状恐れ入り候あいだ、本文を引くべく候。
孝経に云わく「子もって父を争めざるべからず、臣もって君を争めざるべからず」。鄭玄曰わく「君父不義有らんに、臣子諫めざれば、則ち亡国・破家の道なり」。新序に曰わく「主の暴を諫めざれば、忠臣にあらざるなり。死を畏れて言わざるは、勇士にあらざるなり」。伝教大師云わく「およそ不誼に当たれば、則ち子もって父を争めざるべからず、臣もって君を争めざるべからず。当に知るべし、君臣・父子・師弟、もって師を争めざるべからず」文。
法華経に云わく「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」文。涅槃経に云わく「譬えば、王使のよく談論して方便に巧みなるもの、命を他国に奉るに、むしろ身命を喪うとも、終に王の説くところの言教を匿さざるがごとく、智者もまたしかなり」文。章安大師云わく「『むしろ身命を喪うとも、教えを匿さず』とは、身は軽く法は重し。身を死して法を弘む」文。また云わく「仏法を壊乱するは、仏法の中の怨なり。慈無くして詐り親しむは、則ちこれ彼が怨なり。能く糾治する者、彼がために悪を除くは、則ちこれ彼が親なり」文。
頼基をば傍輩こそ無礼なりと思われ候らめども、世の事におき候いては、是非、父母・主君の仰せに随い参らせ候べし。それにとて、重恩の主の悪法の者にたぼらかされましまして悪道に堕ち給
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(207)頼基陳状 | 建治3年(’77)6月25日 | 56歳 |