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すき雨をだにふらし給わず、いわんやかたき往生・成仏をや。しかれば、今よりは日蓮怨み給う邪見をばこれをもって翻し給え。後生おそろしくおぼし給わば、約束のままにいそぎ来り給え。雨ふらす法と仏になる道おしえ奉らん。七日の内に雨こそふらし給わざらめ、旱魃いよいよ興盛に、八風ますます吹き重なって、民のなげきいよいよ深し。すみやかにそのいのりやめ給え」と、第七日の申時、使者ありのままに申すところに、良観房は涙を流す。弟子檀那、同じく声をおしまず口惜しがる。日蓮御勘気を蒙る時、このこと御尋ね有りしかば、ありのままに申し給いき。
しかれば、「良観房、身の上の恥を思わば、跡をくらまして山林にもまじわり、約束のままに日蓮が弟子ともなりたらば、道心の少しにてもあるべきに、さはなくして、無尽の讒言を構えて殺罪に申し行わんとせしは貴き僧か」と日蓮聖人かたり給いき。また頼基も見聞き候いき。他事においては、かけはくも主君の御事畏れ入り候えども、このことはいかに思い候とも、いかでかと思われ候べき。
また、仰せ下しの状に云わく、「竜象房・極楽寺の長老見参の後は、釈迦・弥陀とあおぎ奉る」と云々。
この条、また恐れ入り候。彼の竜象房は、洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由、露顕せしむるのあいだ、山門の衆徒蜂起して、「世末代に及んで悪鬼国中に出現せり。山王の御力をもって対治を加えん」とて、住所を焼失し、その身を誅罰せんとするところに、自然に逃失し行方を知らざるところに、たまたま鎌倉の中にまた人の肉を食らうのあいだ、情ある人恐怖せしめて候に、仏菩薩と仰せ給うこと、所従の身として、いかでか主君の御あやまりをいさめ申さず候べき。御内のおとなし
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(207)頼基陳状 | 建治3年(’77)6月25日 | 56歳 |