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申し付けられ候由、日蓮聖人聞き給いて、「これ体は小事なれども、この次いでに日蓮が法験を万人に知らせばや」と仰せありて、良観房の所へ仰せつかわすに、云わく「七日の内にふらし給わば、日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成って、二百五十戒持つべし。雨ふらぬほどならば、彼の御房の持戒げなるが大誑惑なるは顕然なるべし。上代も祈雨について勝負を決したる例これ多し。いわゆる、護命と伝教大師と、守敏と弘法となり」。よって良観房の所へ周防房・入沢入道と申す念仏者を遣わす。「御房と入道は良観が弟子、また念仏者なり。いまに日蓮が法門を用いることなし。これをもって勝負とせん。七日の内に雨降るならば、本の八斎戒・念仏をもって往生すべしと思うべし。また雨らずば、一向に法華経になるべし」といわれしかば、これら悦んで極楽寺の良観房にこの由を申し候いけり。
良観房悦びないて、七日の内に雨ふらすべき由にて、弟子百二十余人、頭より煙を出だし、声を天にひびかし、あるいは念仏、あるいは請雨経、あるいは法華経、あるいは八斎戒を説いて種々に祈請す。四・五日まで雨の気無ければ、たましいを失って多宝寺の弟子等数百人呼び集めて、力を尽くして祈りたるに、七日の内に露ばかりも雨降らず。
その時、日蓮聖人、使いを遣わすこと三度に及ぶ。「いかに、和泉式部といいし婬女、能因法師と申せし破戒の僧、狂言・綺語の三十一字をもってたちまちにふらせし雨を、持戒・持律の良観房は、法華・真言の義理を極め、慈悲第一と聞こえ給う上人の、数百人の衆徒を率いて七日の間にいかにふらし給わぬやらん。これをもって思い給え。一丈の堀を越えざる者、二丈三丈の堀を越えてんや。や
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(207)頼基陳状 | 建治3年(’77)6月25日 | 56歳 |