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四条金吾殿御返事(八風抄)
建治2年(ʼ76)または同3年(ʼ77) 55歳または56歳 四条金吾
はるかに申しうけたまわり候わざりつれば、いぶせく候いつるに、かたがたの物と申し、御つかいと申し、よろこび入って候。またまぼりまいらせ候。
所領の間の御事は、上よりの御文ならびに御消息引き合わせて見候い畢わんぬ。このことは、御文なきさきにすいして候。
上には最大事とおぼしめされて候えども、御きんずの人々のざんそうにて「あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候。じゅうおうの人こそおおく候に、かくまで候えば、しばらく御恩をばおさえさせ給うべくや候らん」と申しぬらんとすいして候なり。それにつけては御心えあるべし。御用意あるべし。
我が身と申し、おや・るいしんと申し、かたがた御内に不便といわれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむことなれば、弟子等もあるいは所領をおおかたよりめされしかば、また方々の人々もあるいは御内の内をいだし、あるいは所領をおいなんどせしに、その御内になに事もなかりしは、御身にはゆゆしき大恩と見え候。このうえは、たとい一分の御
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(206)四条金吾殿御返事(八風抄) | 建治2年(’76)または同3年(’77) | 55歳または56歳 | 四条金吾 |