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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

恩なくとも、うらみまいらせ給うべき主にはあらず。それにかさねたる御恩を申し、所領をきらわせ給うこと、御とがにあらずや。
 賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり。おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり。この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり。しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし。
 訴訟を申せど叶いぬべきこともあり、申さぬに叶うべきを申せば叶わぬことも候。
 夜めぐりの殿原の訴訟は、申すは叶いぬべきよしをかんがえて候いしに、あながちになげかれし上、日蓮がゆえにめされて候えば、いかでか不便に候わざるべき。ただし、「訴訟だにも申し給わずば、いのりてみ候わん」と申せしかば、「さうけたまわり候いぬ」と約束ありて、また、おりかみをしきりにかき人々訴訟ろんなんどありと申せし時に、この訴訟よも叶わじとおもい候いしが、いままでのびて候。
 だいがくどの、えもんのたゆうどのの事どもは、申すままにて候あいだ、いのり叶いたるようにみえて候。
 はきいどのの事は、法門は御信用あるように候えども、この訴訟は申すままには御用いなかりしかば、いかんがと存じて候いしほどに、さりとてはと申して候いしゆえにや候いけん、すこししるし候か。これにおもうほどなかりしゆえに、またおもうほどなし。