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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

一時に取り出ださんと思うに、手少なければ慈悲前後有るに似たり。故に、千手・万手・億手ある父母にて在すなり。爾前の経々は一手・二手等に似たり。法華経は「一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」と。無数手の菩薩これなり。
 日蓮は、法華経ならびに章安の釈のごとくならば、日本国の一切衆生の慈悲の父母なり。天高けれども耳とければ聞かせ給うらん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん。天地既に知ろしめしぬ。また一切衆生の父母を罵詈するなり、父母を流罪するなり。この国、この両三年が間の乱政は、先代にもきかず、法に過ぎてこそ候え。
 そもそも悲母の孝養のこと仰せ遣わされ候。感涙押さえ難し。昔、元重等の五童は五郡の異姓の他人なり。兄弟の契りをなして互いに相背かざりしかば、財三千を重ねたり。「我ら、親というものなし」と歎いて、途中に老女を儲けて母と崇めて、一分も心に違わずして二十四年なり。母たちまちに病に沈んで物いわず。五子、天に仰いで云わく「我ら、孝養の感無くして、母もの云わざる病あり。願わくは、天、孝の心を受け給わば、この母に物いわせ給え」と申す。その時に、母、五子に語って云わく「我は本これ大原の陽猛というものの女なり。同郡の張文堅に嫁す。文堅死にき。我に一りの児あり。名をば烏遺と云いき。彼が七歳の時、乱に値って行く処をしらず。汝等五子に養われて二十四年、このことを語らず。我が子は胸に七星の文あり。右の足の下に黒子あり」と語り畢わって死す。
 五子、葬りをなす途中にして、国令の行くにあいぬ。彼の人、物記する囊を落とせり。この五童が取れるになして禁め置かれたり。令、来って問うて云わく「汝等はいずくの者ぞ」。五童、答えて云