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わく。上に言えるがごとし。その時に、令、上よりまろび下りて、天に仰ぎ、地に泣く。五人の縄をゆるして我が座に引き上せて、物語りして云わく「我はこれ烏遺なり。汝等は我が親を養いけるなり。この二十四年の間、多くの楽しみに値えども、悲母のことをのみ思い出でて楽しみも楽しみならず」。乃至、大王の見参に入れて五県の主と成せりき。他人集まって他の親を養うに、かくのごとし。いかにいわんや、同父・同母の舎弟妹女等がゆうゆうたるを顧みば、天もいかでか御納受なからんや。
浄蔵・浄眼は法華経をもって邪見の慈父を導き、提婆達多は仏の御敵、四十余年の経々にて捨てられ、臨終悪しくして大地破れて無間地獄に行きしかども、法華経にて召し還して天王如来と記せらる。阿闍世王は父を殺せども、仏涅槃の時、法華経を聞いて阿鼻の大苦を免れき。
例せば、この佐渡国は畜生のごとくなり。また法然が弟子、充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。一日も寿あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を支えたり。これをもって計るに、法華経をば、釈迦・多宝・十方の諸仏・大菩薩、供養・恭敬せさせ給えば、この仏菩薩は、各々の慈父・悲母に、日々夜々、十二時にこそ告げさせ給わめ。当時、主の御おぼえのいみじくおわするも、慈父・悲母の加護にやあるらん。
兄弟も兄弟とおぼすべからず、ただ子とおぼせ。子なりとも梟鳥と申す鳥は母を食らう。破鏡と申す獣の父を食らわんとうかがう。わが子・四郎は父母を養う子なれども、悪しくばなにかせん。他人なれども、かたらいぬれば命にも替わるぞかし。舎弟らを子とせられたらば、今生の方人、人目申すばかりなし。妹らを女と念わば、などか孝養せられざるべき。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(196)呵責謗法滅罪抄 | 文永10年(’73) | 52歳 | (四条金吾) |