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二千余年の間、悪王の万人に訾らるる、謀叛の者の諸人にあだまるる等。日蓮が失もなきに、高きにも下きにも罵詈・毀辱、刀杖・瓦礫等、ひまなきこと二十余年なり。唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の、威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。しかも、仏、彼の例を引いて云わく「我が滅後の末法にもしかるべし」等と記せられて候に、近くは日本、遠くは漢土等にも、法華経の故にかかること有りとはいまだ聞かず。人は悪んでこれを云わず。我とこれを云わば自讃に似たり。云わずば、仏語を空しくなす過あり。身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す。
日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも、民が考妣を害するも、上下異なれども一因なれば、無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給わば日蓮が仏果疑うべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども、千劫阿鼻獄におつ。これはいまだ渇仰せず。知らず、無数劫をや経んずらん。不便なり、不便なり。
疑って云わく、正嘉の大地震等のことは、去ぬる文応元年太歳庚申七月十六日、宿屋入道に付けて故最明寺入道殿へ奉るところの勘文・立正安国論には、法然が選択に付いて日本国の仏法を失う故に、天地瞋りをなし、自界叛逆難と他国侵逼難起こるべしと勘えたり。ここには、法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後の相違これ有るか、いかん。
答えて云わく、汝能くこれを問えり。法華経の第四に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」等云々。同第七に「いわんや滅度して後をや」を重ねて
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(196)呵責謗法滅罪抄 | 文永10年(’73) | 52歳 | (四条金吾) |