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「後の五百歳」と記し給い、正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず。天台大師は「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」と未来に譲り、伝教大師は「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り」等と書き給いて、像法の末はいまだ法華経流布の時ならずと、我と時を嫌い給う。されば、おしはかるに、地涌千界の大菩薩は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御譲り・御約束を空しく黙止して、はてさせ給うべきか。
外典の賢人すら時を待つ。郭公と申す畜鳥は卯月・五月に限る。この大菩薩も末法に出ずべしと見えて候。いかんと候べきぞ。瑞相と申すことは、内典・外典に付いて、必ず有るべき事の先に現ずるをいうなり。「蜘蛛かかって喜び事来り、鳱鵲鳴いて客人来る」と申して、小事すら験先に現ず。いかにいわんや大事をや。されば、法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり。涌出品は、またこれには似るべくもなき大瑞なり。故に、天台云わく「雨の猛きを見ては竜の大きなることを知り、華の盛んなるを見ては池の深きことを知る」と書かれて候。妙楽云わく「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」と云々。
今、日蓮もこれを推して智人の一分とならん。去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の刻みの大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星、これらは仏の滅後二千二百余年の間、いまだ出現せざる大瑞なり。この大菩薩のこの大法を持って出現し給うべき先瑞なるか。尺の池には丈の浪たたず、驢吟ずるに風鳴らず。日本国の政事乱れ、万民歎くによっては、この大瑞現じがたし。誰か知らん、法華経の滅・不滅の大瑞なりと。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(196)呵責謗法滅罪抄 | 文永10年(’73) | 52歳 | (四条金吾) |